擦り切れるまで使い込まれた布団は、裏から布を当てて補修される。しかし、使い続ければ再び擦り切れて、布の上にはさらなる布が当てられる。ついには表からも布を当てねばならなくなる。こうして何代かの人の手によって、数えられないほどの継ぎ布が当てられた襤褸(ぼろ)がかたち作られていく。 当然、美を意識して作られたものではないけれど、いつの間にか不思議なほどの美しさが宿っている。ここまで継ぎはぎを繰り返さなければならなかった当時の暮らしぶりが、いかに過酷で慎ましいものであったかを考えると、それを美の対象として眺めることは軽率なことなのかもしれない。 けれども、きびしい時代を耐え抜き、今確かに存在するその襤褸からは、圧倒的な強さと輝きが放たれているのだ。それは長い年月を生き抜いてきたからこその賜物ではないだろうか。
柿渋染め作家、冨沢恭子さん。 いちばん伝えたいことは柿渋染めの布そのものが持つたくましさと美しさだと言う。学生時代に古道具屋で出会った「酒袋」という日本酒の絞り袋として使われていた袋は、補強のために柿渋で重ねて染られ繕われていた。長い年月、道具として使い込まれてきたその姿に魅了され、自身も柿渋染めを始める。
「ボロとかばん展」は、明治から昭和初期頃に生まれた襤褸と、冨沢恭子さんの使い込むことで日々変化する柿渋染めのかばんに宿る、太古の風景のような暖かみのある布の表情を同時にご覧いただきながら、両者が共に持つ道具の本性としての強さと大らかさを感じていただきたく思います。
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